意思決定と民主化のトレードオフ。

アクシスについて

青山学院大学卒業後、リクルートキャリア(旧リクルートエージェント)に新卒入社。数百を超える企業の中途採用を支援。2012年にアクシス株式会社設立、代表取締役に就任。転職エージェントとして転職・キャリア支援をおこないながら、インターネットビジネスの事業開発や大学・ハローワークでの キャリアについての講演活動、ヤフーニュースや東洋経済オンラインで情報発信中。

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そもそも非合理な経営における組織化

  • 人を育てる事や任せる事と、成果を出す事。
  • 民主化・組織化と、自社独自の意思決定をきちんとする事。

最近これらのトレードオフ問題について考えさせられる事が多々あります。

あえて、他人事のように、経営における意思決定について無機質に考察をさせてもらう前提ですが、

人を育てたり、任せる事は、成果において一時的にトレードオフします。

成果を出してきた実績豊富な自分がやった方が確実性が高く、育成の工数や手間もかかりませんし合理的です。そして実際のところ早く成果が出ます。

経験や実績のない人を育成し、任せている間、成果が出ない期間は、お客様にご迷惑をかけてしまったり、機会ロスを生んでいます。

そして育成し、任せて、その機会ロスを我慢し、成長し成果が出るようになったとしても、その人が辞めてしまう可能性は常に存在します。

育成した人が辞めずに、さらなる成長機会や活躍機会を提供する努力を、会社は継続的に投資・努力し続ける事はセットで考えなければなりません。

それでも投資と努力を継続し強めていくと、一定期間で成長し成果が出る人が増え、辞める人よりも頑張り続ける人が増えてくると、確率論的にはそれまでの投資に対してのリターンの方が上回ってきます。

しかし、日本的な経営者の観点で捉えると、この時点でも、経営者は雇用責任がむしろ増しているので、極端に言えば1人で雇用責任なく、自分の実績を活用して確実に成果を出す事の方が、相対比較するとリスクも小さく、合理的です。

つまり、1人でも実績成果を出せる人にとっては、それ程の努力とリスクを背負う事によって得られるリターンというのは、よほどの強欲な人でなければ、既に合理性はない活動とも言えるのです。

自分の信じる意義の証明

にもかかわらず、そのようなリスクテイクを推し進める理由はなんでしょう。

人にもよるのかもしれませんが、決して短絡的な合理性ではなく、中二病的な自分なりの意義のためにそうした努力やリスクを背負っているという本質があるのだと考えています。

たとえば、僕の場合は以下でしょうか。

  • うちで働く社員が成長し、市場価値が高まり、自立に向かい、その結果として自分の幸せを自分で選択できるようになってもらいたい
  • 働く個人が幸せになる事に貢献したい
  • 誰もが自分なりの軸にまっすぐに生きられる社会にしたい

そう考えた時に、もう1つの会社が民主化や組織化していく事と、自社独自の意思決定を行う事の壁が立ちはだかりします。

経営の民主化における罠

前述したように、人を育成し、任せていく中で、その人数が増えてくると、望む望まないに限らず、必然的に組織になっていきます。

組織になってくると、個別の主義・主張があるため、それがバラバラにパワーが分散してしまったり、ぶつかり合ったり、すれ違う事で、むしろ少人数の時よりも成果や生産性を下げてしまう事はよくある事です。

物理的に経営者1人で一定以上の人数をマネジメントする事は難しくなります。

なので、経営者は民主化を図ろうとします。

それまで自分ひとりで意思決定をしてきた事を、経営を民主化する事で、意思決定の権限をマネージャーなどに移譲していくのです。

会社員で、経営における意思決定に慣れている人は意外と少ないです。

実際に僕自身、5年弱の会社員生活で意思決定をした記憶はほとんどありません。

なので、同じく経営における意思決定に慣れさせたり、育成する期間が必要になります。

それまで一人で瞬時に意思決定してきた事を、粘り強く複数名で議論をして意思決定していく事になっていきます。

民主化で意思決定する事で生まれる誤解

ここで、意思決定に関わる、少なくとも議論の場に参加する人が複数名になる際の難しさやジレンマがあります。

議論というフォーマットで意思決定をしていくためか、議論のプロセスにおいて論理性や合理性に偏り、原理主義化しやすいのです。

しかし、会社や事業、組織というのは、文脈・コンテキストに規定されがちな動的な生き物です。

現実の環境も、白か黒かで割り切れる事はほぼなく、白1%、黒1%で、残り98%はグレーです。

A or Bかを合理性だけでさくっと判断できるなら、それは決断ではなく、意思決定ではありません。

そして意思決定者である自分たちが当事者であり、実行者であり、自らやり抜いて成果を出していかなければなりません。

他人ごと、評論家ではいられないのです。

そして、さらに言えば、前述した通り、そもそもが合理性ではなく、あえてリスクを背負い組織化をはかってきた経営者ないしは会社は、一般論や合理性ではなく、自分たち独自の意義のために(他人はそう思わないが自分たちにとっては大切な事)事業を拡大し、組織化してきたという背景が事実があるのです。

それを合理性によって失う事は、本末転倒です。

会社の魂がなくなり、抜け殻になってしまいます。

そして、組織化する現時点まで、事業や組織を成果に導いてきた実績と、そのための思想やこだわり、価値が間違いなくそこには存在するわけですが、それさえも否定し壊してしまいかねないリスクがあります。

そうすると、経営を単純に民主化する事や、合理性で判断する事は大きな誤解であり、それが良かれと思ってした事でも、結果的に自滅や破滅の道に自ら向かってしまうリスクがあります。

ある意味の経営者独自の偏った思想や意義を、きちんと経営の意思決定に関わる人に浸透・徹底させる事と伝達し続ける事が本質であって、みんなで議論して聞こえの良いものを飾りつけ、奉る事ではないのです。

社会的責任と同調圧力との切り分け

もちろん企業が成長拡大し、組織が大きくなれば、社会的責任は増していきます。

そうすると自分たちが信じる価値や独自のこだわりが、日の目を浴びる機会が増え、批判や非合理を指摘される事も増えてくるでしょう。

世の中の流れに対して柔軟である事や自己変革を続ける事の大切さと、守り続けなければならない自社独自の思想やこだわり、偏りといった秘伝のタレ。

これらをきちんと切り分けて考え、議論をしていかなければ、何のために集まった組織や会社であるのか。

それが風化してしまい、のっぺらぼうの会社になってしまいます。

とても大切な事だと思うので、自戒を込めてまとめておきました。

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