成長の本質

アクシスについて

青山学院大学卒業後、リクルートキャリア(旧リクルートエージェント)に新卒入社。数百を超える企業の中途採用を支援。2012年にアクシス株式会社設立、代表取締役に就任。転職エージェントとして転職・キャリア支援をおこないながら、インターネットビジネスの事業開発や大学・ハローワークでの キャリアについての講演活動、ヤフーニュースや東洋経済オンラインで情報発信中。

末永 雄大をフォローする

こんにちは。アクシス代表の末永です。社長ブログです。

axxis inc.も7期目が残り1ヶ月と少しを残すところとなりました。期末大詰めとなり、久しぶりの社長ブログ更新となってしまいました。

最近、僕自身も転職者の方とも一定数面談させていただいたり、日々、社内メンバーとの面談や会話を行う中で色々と感じる事があります。

それは、多くの人は成長したいと言うものの、成長に向けての過程の中で成長以外の事に意識が分散してしまい、結果として成長するために必要な行動にフォーカスできていないという事です。

それは、成長という言葉の意味や定義が曖昧である事が原因の1つではないかと思い、今更考えるまでもないと思われがちな「成長」について考えてみました。

成長とはなにか?

普段当たり前に使う成長という言葉ですが、成長の主語が異なれば、意図や意味も異なるのではないかと思います。

例えば、会社にとっての成長とは何か?

会社にとって売上が伸び続ける事、社員数が増え続ける事が成長と捉える人も多いですよね。

でも、僕はそれが成長の1つの指標ではあり得るけれど、必ずしも会社にとっての成長とは思っていません。

会社Aを主語にした時に、どれくらいの時間軸でどの座標軸・地点に到達したいか次第ですよね。

このように営利組織である会社にとっての成長1つをとっても、会社によって成長の定義は異なるのだと思っています。

「成長したい!」と人や会社が宣言する際、実は、「やりがいや満足感」、「成長感」、「自己実現」というものが混同されているのではないでしょうか。

どういったものを求めて自分は成長したいと言っているのか、他人は成長したいと言っているのかを冷静に観察してみると色々とミスマッチがないと思うのです。

以下で3つの違いについて具体的にお話していきたいと思います。

やりがいや満足感

実は多くの人が言っている成長はこの「やりがいや満足感」の事を言っているのではないかと感じます。

実際に面白い仕事をしていれば仕事内容そのものにやりがいを感じたり、満足感を得られるかもしれません。

しかし、その事自体が、何かしらの目標や自己実現、例えば、新しい知識やスキルが増えたり、なにかの分野の筋肉がついたり、いずれかの方向に進捗しているかというとそうとも限りません。

成長感

これが一番言葉の響きとしては成長の定義に近しい印象ですね。ただ個人的には重要ではありつつも、これも自己実現と相関性が高いとは断言できないと思っています。

恐らく意図せずとも東西南北のいずれかの方向に進んでいるのでしょうし、進んでいる実感値を感じる事はできるのだと思います。

しかし、意図せず東西南北のいずれかにさえ進んでいれば本当にそれで良いのでしょうか。

もちろん、人生は偶発的な出会いや出来事によって想像もしていない方向に大きく変化する事も醍醐味ですし、運に左右される事も多分にあります。また、VUCAの時代すべてを予測する事は不可能です。

しかし、仮に、意図せず周りに流された結果、北に一定距離を進む事ができ、その進捗具合そのものが楽しかったとしても、その地点にたどり着いた際に、それが相場よりもかなり時間をかけ過ぎてしまっていたり、世の中から評価をされなかったり、求められにくい成長であったとしたら、それまでの努力が報われず悲しいですよね。

少なくとも自分の目的意識を持って目指した場所であったのであれば、そもそもそれこそが目的や自己実現そのものですから、仮に評価をされなかったとしても、後悔はないのではないでしょうか。

自己実現

僕は本質的な成長とは、自己実現に向かう事ではないかと思っているのです。

ここで言う自己実現とは、仮に方向が東西南北あって、北の方向に向けて、これくらいの時間内に3キロ進みたいという自分なりの目的・目標。

つまり、到達点の位置と期限(方向と時間と距離)が明確になっているのだと思います。

そこにたどり着く事そのものが自分の意思決定であり、自己実現であれば、たどり着くための過程や努力自体も楽しいものになるでしょうし、たどり着いた結果仮に他人から評価をされないとしても納得はできるのだと思うのです。

上記でそれぞれ細かく定義はしてみましたが、一言で僕が定義する本質的な成長とは、

  • 成長はできなかった事ができるようになる事。
  • できなかった事ができれば何でも良いという事ではなく、自分なりにその方向と時間と距離を明確にできている事。

だと思っています。

成長は本質は変化率(=現在地から目標位置への到達率)

上記のように現在はできていないけれど、自らが近い未来に到達したい地点が明確になったとして、よりその地点に到達する進捗率・到達率が高いと良い感じで成長していると言えると思います。

変化率が大きい事は成長している証拠であり、成長スピードが速いと言えると思います。

そのため成長スピードが速い程、変化が激しく、自分の腹落ちがついてくれずに葛藤や悩み、苦しみが発生しがちなものと思うのです。

それは成長における健全な成長痛や筋肉痛なのに、精神的には不快な状態が故に、やりがいや向き不向きといった誤釈をしてしまう事が多いのだと思います。

成長・変化するための代償やジレンマ

しかし人は変化を嫌う保守的な生き物です。

多くの人は成長したい!と言うわけですが、実際に成長するためのアクションを行う段階になると途端に矛盾行動や発言をとってしまいがちだなと思うのです。

下記は、成長を阻害するフレーズあるあるです。いわゆるコンフォートゾーンにとどまるために人はこれらの言い訳をしたがります。

成長をしたいと言いながら、変化を恐れ、今まで通りを継続・維持したいのです。

以下で成長を阻害するアルアルフレーズとなぜそれらが成長を阻害しているのかについてご紹介してみますね。

  • 自分らしさ 
  • 向き不向き
  • やりたい事じゃない
  • 私にはできない
  • 難しいですね
  • 本当にこれで良かったのかな

自分らしさ

自分らしく成長できたらそれはそれで良いですね。しかし成長に必要なアクションや努力をやらない理由や言い訳にしてしまっているのであれば、ちょっと自分らしさの用途が違ってきますよね。

向き不向き

そもそも仕事は誰かに(顧客や会社・上司・同僚から)任されるものであるので、向いているか向いていないかを判断するのは自分ではなく、第三者であると思います。

また、この仕事は向いていないと言う時、恐らくうまく仕事ができていなかったり、成果を出せていない状態なんだと思うのですが、一定期間やり切った上での第三者判断であればまだしも、初めて任された仕事やまだ慣れない仕事をしている時、その仕事をすぐにうまくできるわけがありません。

任せる側はさすがに、成長ストレッチを見越して任せているはずであって、そうでなければ、すでにその仕事ができている即戦力の経験者に任せているはずです。

やりたい事じゃない

あなたが言う「やりたい事」ってなんでしょう?やりたい事は「面白いタスク」ではなく「成長」ではなかったのでしょうか?逆に仕事というカテゴリ内において何であったらやりたいのでしょう?ある特定の仕事がやりたい事だったとしてそれをやれば良いのでしょうか?それが本当に成長に繋がるのでしょうか?

成長するための手段としてのアクションや努力のほとんどはやりたい事ではない可能性が高いです。

なぜならば、成長とは成長を達成した結果の状態の事であって、そのプロセスにおける手段、つまりアクションや努力は、時間工数や手間暇がかかるし、初心者のためにうまくできなかったり、成果に繋がりにくかったり、何がわからないかもわからずにストレス負荷が大きい事が多いためです。

また、成長を達成した結果のキラキラ感と比較して、手段となるアクションや努力は大抵地味で泥臭いのでその両者のギャップが凄いのです。

私にはできない

はい。もちろん最初からはできません。でも何かしら試行錯誤や工夫、慣れてくる事で、また能力が向上する事によって、ゆくゆくできるようになってくるのです。

なので、最初の試行時点で楽勝だったり、自信満々な方が見立てが甘くおかしいし、そもそもストレッチのない成長の目標設定になってしまっているのかもしれません。

経験や情報、知識がないためわからないし知らないのでできません

経験がない事が今できない事であり、それをできるようになるのが成長ですよね。

なのではじめはわからない、知らないのは当たり前だし、それをわかるようになる努力や試行錯誤をする事が成長につながっていきます。

もしそうでなければ、全ての仕事にマニュアルや取扱説明書を渡されないと対処できない人になってしまいますが、そうしたマニュアル指示と実施の繰り返しの先に自分が理想とする成長できている姿はイメージできますか?

成長はもちろん、裁量も欲しいと言っていましたよね。裁量とは何なのか、今一度考えてみても良いかもしれません。

難しいですね

はい。難しいです。成長を求めている人に簡単な仕事は任せません。

今はできない難しい事を努力や訓練、行動回数、慣れによってできるようになるのが成長の一連の流れです。

なので今すぐにできてしまう簡単な仕事を任せられたら、難しくはないですが、成長もしません。

本当にこれで良かったのかな

それは、正直言って誰にもわかりません。あなたが主観の中で決める事です。

恐らくこの時点に至る前にあなたは、このようなプロセスを経て意思決定し、今の状態に至っているのだと思います。

・成長の到達点Aと到達点Bがあります。あなたはAとBを比較検討等してAを選択したのだと思います。
・成長の到達点Aに至るまでの手段や山の登り方にも1、2、3のパターンがあったとします。
・1~3の手段を吟味検討した上で、最終的に2が最適であると判断して2という手段や山の登り方を意思決定したのだと思うのです。
・であれば、あなたがやるべき事は既に決まっています。
まずは、2という手段をフルに用いて到達点Aにできる限り早く到達する事です。仮に2という手段が最適ではないと何かしらのファクトを以って判断したのであれば、手段を1ないしは3に変更してでも、Aにできるだけ早く到達する事です。
・その際に、Aではなく、Bにすれば良かったかな〜と考えても意味はありません。

とにかくAに到達する事に集中しましょう。

仕事における成長は他社への利益貢献を意識した方がうまくいく

また、今回テーマとしている成長について、日々多くの人が語る成長とは、趣味のダーツがうまくなるといった成長というよりも、仕事における成長であることが多いと思うのです。

この違いは大きいです。

お金を払う側の消費行動や、趣味としての成長であれば、自己満足の範疇でも究極は良いのです。

つまりそれが自己実現でなくても、やりがいと成長感さえ感じられていれば、誰も文句は言わないと思いますし、そもそも第三者の評価を前提としていない事が多いのです。

一方、仕事である限りは、ビジネスであり、第三者、つまり顧客や会社、上司、同僚などに貢献する事で、その対価といて報酬やお給料をいただく活動です。

その活動においての成長、つまり仕事における成長を意図しているのであれば、自分の成長ばかりに視点を起き過ぎるとついつい自分にすべての選択権が存在していると勘違いしてしまいがちです。

結果この仕事は違うかも・・、本当にこれで良かったのかな・・?と変な方向に意識が向かってしまいます。

シンプルに一言で表現してしまうと、仕事の成長は、より第三者への利益貢献度を高める事がうまくなっていく事です。

変に自意識にとらわれ過ぎて、ブレたり、迷走したり、悩んで自分にブレーキをかけて成長スピードを阻害してしまうくらいなら、仕事に関わる目の前の第三者にどうすればより利益貢献できるだろうか?に集中してみると色々な事がうまく回っていき、スムーズに成長していけると思います。

人間の感情に寄り添い・向き合いながら、それでも一緒に成長したい

ここまで話してきてなんですが、自己実現のための成長にコミットメントしていく事はとてもストイックな活動だと思っています。

それが当たり前であり、そうすべきであるというスタンスですと、息苦しく誰にでも強制する事ではないし、全員に対してこの期待値で向き合うのはある意味で暴力です。

誰でも一定レベルでゆとりはほしいし、人生や毎日を単純に楽しみたい。

人間だし、僕自身も同じ考えです。

それでも自分の人生を信じて自分に対して高い期待値を持っている人であれば、割り切ったり諦めずに、寄り添い、一緒に成長していきたい。

axxis inc.は転職者やメンバーに対して、そんな風に人の成長に向き合えていけたらと思っています。

今回は長文・駄文にて失礼しました・・。

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